「今日、道中で杉権大事からの緊急の手紙を受け取った。三条公岩倉両公の命により、長松少辨が日田へと派遣されるという。晴れ。来客で賑わっていた。十一時頃に出立。岡義右エ門の案内で、七八人の付き添いと共に矢島半平宅へ向かう。二時頃にそこを発ち、八時前に山口に到着。久保と柏村を訪ね、片山の所で山縣、正木、坪井、井上に会った。中村屋に宿泊。今日、井上世外(馨)から三条公の手紙を受け取った。勅使の堀川卿がお持ちになられたらしい。記、吉富簡一と平岡平吉からの手紙も届いた。」
2021/06/18
2021/05/20
明治四年四月二日 (1871/5/20)
「刺賀佐兵衛、岡義右衛門、宍戸……、内藤次郎、……と長府の三好周亮が訪ねて来た。山田市之丞(顕義)が、元会津人の日下一郎を連れて来た。日下は先日久留米のあたりで九州の近情を調査してきたばかりで、難波を経由して山口に戻って来たところであった。私は彼にもう一度日田に行ってもらいたいと思っている。李家文厚、三好軍太郎、岩岡安田……が来て、前途諸事について議論した。十一時頃、藩廟に出仕、退出時に長府の三好を訪ねたが不在。次に、萬代屋と片山屋に行き、山縣と杉と話した。三月二十一日(5/10)付けの三条岩倉両卿からの手紙が届いた。その中には最近の東京での出来事やご決断について書かれており、わたしはこの手紙を通じて東京の近情をよく理解した。今夜、中村屋に泊まりに行った。」
2021/04/12
明治四年二月二十三日 (1871/4/12)
「晴れ。南風と砂埃。二時頃に障岳(広沢真臣)の墓参りをし、暮字を記した。溢れる想いを抑えるのが難しかった。今春の夕方はまるで秋暮のようだ。三条公に拝謁し、幾つかの案件について愚案を建言した。どれも今日の急務だ。宍戸を訪ね、廣澤邸に行き、三浦を訪ね、六時過ぎに帰宅。加藤弘蔵が訪ねて来て、酒を飲みつつ数時間談論した。永安、長、吉富、笠原、斎藤、杉山、吉村、その他大勢の来客あり。飲み、語り、二時過ぎに就寝。記、本日付けで、正二郎が大蔵省の命で英国に行くよう任を受けた。」
2021/04/01
明治四年二月十二日 (1871/4/1)
「晴れ。遡ること二月十日の夜、私は一人静かに回想していた。三条公の邸宅、西郷や他の者達が同席していたあの朝、私は未だに根強く残っている従来からのやり方の弊害に対する警告を論じるのに熱くなりすぎてしまった。今思うと少し恥ずかしく、そこで朝の三時であったにも関わらず、岩倉卿宛に手紙をしたためた。今朝、井上世外(馨)が岩倉卿の伝言を伝えにきたので、私はあの手紙の中で表すことの出来なかったことを陳述した。西郷吉之助が訪ねて来て、互いの藩の事情と国家の情勢について議論し、朝廷の現状にも話が及んだ。山縣素狂(有朋)も話しに来た。」
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どうも私は感情的になりすぎるふしがあり、言ってしまった後、やってしまった後で後悔することが少なくなかった……このツイッターも、リアルタイムではなく何日分か予め登録しておくことで、書いたら悔いてしまうことは書かないようにしている。便利な世になったものだ
2021/03/27
明治四年二月七日 (1871/3/27)
「朝、雨。作間が訪ねて来た。十時頃に三条公が俄かにお越しになられ、此度の一件ついて相談なされた。また、岩倉公が昨日東京へとお戻りになられたと伺った。槇村半九郎(正直)からの手紙が届いた。」
2021/01/05
明治三年十一月十五日 (1871/1/5)
「晴れ。十時前に参朝。三条公に、幾つかの政府案件について意見を求められた。廣澤を西方に向かわせるという決断が下された。薩摩の状況については公私双方の観点から日頃苦心していたこともあり、このような良い報せを聞くと、国家のためにも喜ばしい。四時頃に退出、帰り道に大木を訪ね、酒を飲み交わしながら話をした。その後、廣澤宅に寄ってから、七時頃に帰宅。山尾常二郎の洋行について、黒田了介(清隆)と話した。」
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三条公は親長州派の公家の筆頭格で、文久の時分からの長いお付き合いだ。彼はいつも政治的に難しい状況で板挟みになられていて、気苦労が絶えなかったであろうことは想像に難くない。彼は優れた決断力をお持ちだったわけでも、特に聡明であられたわけでもなかったが、誰よりも方正謹直であられ、個性豊かな新政府のまとめ役を務めることは、彼と岩倉公を除いて他の誰にも成しえなかったのではないかと思う
2020/12/26
明治三年十一月五日 (1870/12/26)
「晴れ。朝、山田市之允(顕義)が話をしに来た。十一時に染井に向かった。今朝、三条公からの御手紙が届き、私はすぐに返事を返した。」
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私や大久保、西郷みたいに背が高いと、人の上に立つうえで色々と役に立つものだが、市君はちっこいのをものともせず、実力だけで皆の尊敬を勝ち取った凄い奴だ。世界広しと言えども、去年暗殺の憂き目に遭った大村の意志を継げるのは、小ナポレオンたる彼ぐらいのものであろう。
明治四年五月十三日 (1871/6/30)
「晴れ。十一時頃に一時の豪雨と雷鳴。安玄佐とその倅が来た。井上世外が話しに来た。先日話した藩の会計局の一件や、その他の件の評議は先延ばしにされたようだ。十年後に待ち受けている大いなる災いが見えている者達はほんの一握りしかいなく、多くの役人達は目の前の問題に対応するのみだ。私はこの...
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「雪舞うこと花咲くが如く。ここ十七年のうちでも一番に寒い冬だ。十二時に、両公が勅使の滞在している旅館で晩餐会を開かれ、私も参席した。三時頃に廣澤の家に行き、次に湯田で大久保に会い、九時過ぎに宿に戻った。来客が引っ切り無しで非常に忙しかった。」
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「晴れ。内海と他の者達が訪ねて来た。私は二時過ぎまで布団の中で過ごした後、諸氏と散歩に行き、歯科医のエリオット先生を訪ね、その後プロイセン公使を訪ねた。公使とケンパーマンには長州公からの贈り物である漆器と縮緬をお渡しした。今日はプロイセン皇帝の誕生日だそうで、また戦勝記念日でもあ...
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「晴れ。朝から各所より来客あり。近頃、湯治に来ている肥後の人間が一二名も話をしに来た。十一時過ぎに杉を訪ね、一緒に政廟に出仕、血気盛んな若者達の問題について議論した。五時に退出し、湯田で岩倉卿との謁見し、大久保と会った。帰り道に西郷を始めとした今回山口城に入城した人々を訪ねた。皆...

