「晴れ。十時に参朝、退出後、正親町三条卿亭で会談。五時に帰宅。夜には斎藤新太郎、吉富藤兵衛(簡一)、福井順道、河瀬県知事(秀治)が来訪。」
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吉富は同じ湯田出身である聞多の幼馴染だ。昨年山口での反乱の折には私の脱出を助け、更にその鎮圧に成功した有能な男であった。私は後に彼を岩倉使節団に推薦したが、彼はこれを断り山口に残った。聞多・俊輔・山縣とは一生涯の盟友で、彼等が中央を、吉富は地元の政治基盤を掌握していた
「晴れ。十時に参朝、退出後、正親町三条卿亭で会談。五時に帰宅。夜には斎藤新太郎、吉富藤兵衛(簡一)、福井順道、河瀬県知事(秀治)が来訪。」
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吉富は同じ湯田出身である聞多の幼馴染だ。昨年山口での反乱の折には私の脱出を助け、更にその鎮圧に成功した有能な男であった。私は後に彼を岩倉使節団に推薦したが、彼はこれを断り山口に残った。聞多・俊輔・山縣とは一生涯の盟友で、彼等が中央を、吉富は地元の政治基盤を掌握していた
「深夜十二時に錨を上げて阿波の……に向けて出発した。荒波のせいでそこでの灯台を見分することは叶わなかったので、十一時に相模の剣崎灯台に向かった。そこで三時過ぎまで諸器械を降ろしてから、六時頃に横浜へと帰還した。正親町三条卿、大久保と私は通商司會舎に向かい一泊した。私はそこから正二郎のところに向かい、私と一緒に過ごせるよう連れて来た。」
「暁雨、風もようやく落ち着いてきた。六時に錨を上げ、昨晩初めて灯がともされた三ヶ本へと向かった。灯台にも登り、見分した――これは皇国第一の品で、途轍もなく優れた代物だ。八時過ぎに下田に戻り、十時過ぎに錨を上げて蓮台寺にある……宿へ向かい、温泉に閑静な時を過ごした。ここにはこれまで二度ほど来たことがあり、一度目は十七年前、二度目は十六年前であった。十七年前はプチャーチン提督に指揮されたロシアの軍艦が沖に来ていたときのことで、彼の船は津波に沈められたのであった。下田の家々も全て、この波に沈められ、千人近くが命を失った。宮田の守備隊に配属された私と中村百合蔵は、蓮台寺にしばし滞在していた。この旅で、私は箱根山脈の中で大地震を経験したのだ。十六年前は浦賀で商船に乗ってここまで来ており、再び蓮台寺に一泊してから、戸田へと向かったのであった。プチャーチンは前年にスクーナー艦(帆船)を造調しており、私は長州もこの例に倣うよう建言し、二人の船大工を雇い長州のためにスクーナー艦を作るように命じていた。諸藩の中でも一足先に造船や海軍を追求することを唱えたの我が藩であった。当時、このような軍艦を作り得た藩は皇国内に一藩二藩しか無かった。あの旅で下田に来ていた私のために、中島三郎助は色々と周旋してくれたのであった。三郎助と彼の二人の息子達は昨年、函館での戦で命を落とした。私は常に彼の先見の明を尊敬していた。だから昨年、主君の狂気のせいで彼が道を誤ろうとしていると感じたときには、なんとか彼を探し出し、時勢について忠告しようとしたものだ。だが時既に遅く、彼はすでに函館に発った後であった。これは私の一生の遺憾だ。この十六年、十七年、言葉では表せないほどに何もかも変わってしまった。私が今日まで生き延び、この地に再び戻ってくるなど、まったく予想できなかった。どうすれば君父様(毛利元親)の大恩にお返しが出来るのか、私にはわからない。イギリス人のサトウが四時前に来た。正親町三条卿や大久保等と共に下田まで川を下り、半田屋で飲食を楽しんだ。十時過ぎに船に戻った。」
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中島三郎助はペリー来訪時に身分を偽ってでも黒船に乗り込み、交渉をする傍ら船の機構を調査し、更にはその学びを生かして造船や航海に携わるなど、素晴らしく柔軟で行動力にあふれた人物であった。もし彼が生きて新政府に来てくれていたら、一体どれほど貢献してくれたことか……
「暁雨、十二時頃に晴れる。今朝、黒田了介(清隆)がロシア人達との会合について議論にやって来て、先日彼と検討した私の洋行についても話を交わした。永安和惣、太畑、鹿島達がやって来た。斎藤篤信斎もお越しになられた。近々海外に行く予定の典薬寮の医師、伊東も出立の挨拶に来た。四時過ぎに江藤を訪問し、今夜は宿直の任のため、彼の家から直接皇居へと向かった。今夜は正三卿(正親町三条実愛)が相役で、夜分には天皇陛下から御酒と食事を賜った。」
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斎藤弥九郎先生には足を向けて寝られぬ。剣の達人でありながら、早くから海外への興味をお持ちで、江川英龍先生とも良く交流なされており、私はその縁でペリー来訪後の海岸線の測量に携わることが出来たのだ。もし先生が私を紹介して下さらなかったら、今日の私は無いであろう
「晴れ。十一時頃に一時の豪雨と雷鳴。安玄佐とその倅が来た。井上世外が話しに来た。先日話した藩の会計局の一件や、その他の件の評議は先延ばしにされたようだ。十年後に待ち受けている大いなる災いが見えている者達はほんの一握りしかいなく、多くの役人達は目の前の問題に対応するのみだ。私はこの...