2021/01/05

明治三年十一月十五日 (1871/1/5)

 「晴れ。十時前に参朝。三条公に、幾つかの政府案件について意見を求められた。廣澤を西方に向かわせるという決断が下された。薩摩の状況については公私双方の観点から日頃苦心していたこともあり、このような良い報せを聞くと、国家のためにも喜ばしい。四時頃に退出、帰り道に大木を訪ね、酒を飲み交わしながら話をした。その後、廣澤宅に寄ってから、七時頃に帰宅。山尾常二郎の洋行について、黒田了介(清隆)と話した。」

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三条公は親長州派の公家の筆頭格で、文久の時分からの長いお付き合いだ。彼はいつも政治的に難しい状況で板挟みになられていて、気苦労が絶えなかったであろうことは想像に難くない。彼は優れた決断力をお持ちだったわけでも、特に聡明であられたわけでもなかったが、誰よりも方正謹直であられ、個性豊かな新政府のまとめ役を務めることは、彼と岩倉公を除いて他の誰にも成しえなかったのではないかと思う



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明治四年五月十三日 (1871/6/30)

「晴れ。十一時頃に一時の豪雨と雷鳴。安玄佐とその倅が来た。井上世外が話しに来た。先日話した藩の会計局の一件や、その他の件の評議は先延ばしにされたようだ。十年後に待ち受けている大いなる災いが見えている者達はほんの一握りしかいなく、多くの役人達は目の前の問題に対応するのみだ。私はこの...