2021/03/22

明治四年二月二日 (1871/3/22)

「晴れ。内海と他の者達が訪ねて来た。私は二時過ぎまで布団の中で過ごした後、諸氏と散歩に行き、歯科医のエリオット先生を訪ね、その後プロイセン公使を訪ねた。公使とケンパーマンには長州公からの贈り物である漆器と縮緬をお渡しした。今日はプロイセン皇帝の誕生日だそうで、また戦勝記念日でもあるそうだ。プロイセン公使館は飾られており、祝砲や花火が打ち上げられていた。夜には諸氏達と飲み語った。記、公使とケンパーマンには例のプロイセン人の雇用を周旋頂いた。」

==========

ケンパーマンは維新以前1866年から日本に滞在しドイツ・プロイセンの公使館に勤めていた。彼は二十歳少々で日本に来たこともあり、我等の言葉を流暢に話せ、当時上り調子であったプロイセンについて知りたい我々にとっては非常に貴重な人材であった。彼も日本の文化や語学に大分関心があったようで日本国内を良く旅しており、いくつもの日本学を出版している。彼は勿論キリスト教徒であったのだろうが、彼の本からは神道に対する関心や尊敬が見て取れて、興味深い。出雲大社まで訪ねた異人は珍しいのではないのだろうか?



0 件のコメント:

コメントを投稿

明治四年五月十三日 (1871/6/30)

「晴れ。十一時頃に一時の豪雨と雷鳴。安玄佐とその倅が来た。井上世外が話しに来た。先日話した藩の会計局の一件や、その他の件の評議は先延ばしにされたようだ。十年後に待ち受けている大いなる災いが見えている者達はほんの一握りしかいなく、多くの役人達は目の前の問題に対応するのみだ。私はこの...