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2021/06/17

明治四年四月三十日 (1871/6/17)

「晴れ。龍昌院、妙香院、海潮寺、本行寺と回り、墓参り。そこから徳隣寺へと向かい、寺内、組式、小幡、児玉、中村、山田他を訪ね、三時頃に帰宿。山のような来客。記、三浦梧楼を訪ねてみたが、置手紙を残し既に山口に向けて発った後であった。」

2021/05/31

明治四年四月十三日 (1871/5/31)

「晴れ。三輪惣兵衛の所で岡に会い、そこから忠正公(敬親)の墓参りに向かった。杉を訪ね、小澤を訪ね、そこで予期せず井上世外(馨)に会った。世外は今日山口に着いたらしく、東京の近情と、三条岩倉両卿からの『直ちに東京へと戻るように』との指示を伝えてくれた。六時過ぎに帰宅。同じく山口に戻っていた三浦梧楼からの手紙が届いた。福井順道と杉山耕太郎からの手紙も届いた。夜、草刈が来て泊っていった。」

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三輪惣兵衛は醤油の醸造や質を営んでいた山口の豪商の一人で、よく他藩からの客人を泊める家として使われていた。幕末には坂本龍馬、明治になってからも大久保や西郷従道と言った人々が泊ったことがあり、廣澤や私も良く訪れたものだ。

2021/03/13

明治四年一月二十三日 (1871/3/13)

「晴れ。山縣狂介(有朋)と熊野一郎が到着した。両者とも此度の変を聞き、私同様、深く嘆いていた。河野亀太郎が私を訪ね、浪華からやって来た。三条公、野村、藤井宛の手紙を書き、杉に託した。その他、幾つかの案件に関する私の愚考を伝えておいた。河村大丞が訪ねて来た。杉は、四時過ぎに乗艦。今朝、安場逸平と大田区露岩太が訪ねて来た。山縣と一緒に港に到着した鳥尾小彌太も訪ねて来た。」

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鳥尾、山縣そして三浦の三人はみな奇兵隊以来の付き合いで、私は三人とも仲良くしていたのだが、お互いとの関係性は複雑なものであったようだ。鳥尾も三浦もヤンチャ坊主気質で、山縣より十歳ほど年少であったにも関わらず、彼の藩閥政治に反発、対立していた。だがそれも仕事や主義上の話であり、人間としてはお互いを深く尊敬・信頼していたらしく、晩年まで交友があり、死を前にした鳥尾も山縣も、三浦に家族や後事を託したという



2020/12/25

明治三年十一月四日 (1870/12/25)

 「晴れ。九時に参朝、四時に退出。そのまま廣澤の所に直行して、時事について相談した。帰り道に三浦を訪ね、その後三浦が私の家に来た。記、今朝は河野と楢崎の来客があった。」

2020/12/20

明治三年閏十月二十八日 (1870/12/20)

 「晴れ。九時に参朝、三時過ぎに退出。廣澤と一緒に神田邸へと向かい、四時過ぎに帰宅。山縣狂介(有朋)が話をしに来た。記、夜、三浦梧楼が話をしに来た、斎藤も来た。」

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神田邸というのは、今は大手町の三井物産ビルがある場所に位置していた藩邸で、元は姫路藩のものであったのを、私自ら交渉して購入した思い出の物件だ。御覧の通り御堀の手前と立地条件は最高で大分気に入っていたのだが、それほど経たぬ内に政府の都合でまた引っ越さねばならなくなったのであった……



明治四年五月十三日 (1871/6/30)

「晴れ。十一時頃に一時の豪雨と雷鳴。安玄佐とその倅が来た。井上世外が話しに来た。先日話した藩の会計局の一件や、その他の件の評議は先延ばしにされたようだ。十年後に待ち受けている大いなる災いが見えている者達はほんの一握りしかいなく、多くの役人達は目の前の問題に対応するのみだ。私はこの...