2021/04/02

明治四年二月十三日 (1871/4/2)

 「晴れ。山縣篤蔵、三好軍太郎、長岡精助と染井の別荘に向かった。正二郎も連れて行った。十二時に到着、数時間ほど飲んでから中村梅荘に行った。梅の花は半分ほど散ってしまった後であったが、それでもまだ数百本は咲いており、その香りが空気を満たしていた。花の下に配置された茂みも良い味を出していた。主人に何杯かの薄茶を馳走になった。そこから別荘に戻り、六時過ぎに帰宅。」

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この二三か月後、私が出資者、山縣篤藏が主筆となり『新聞雑誌』を創刊した。廃藩置県を始めとした政府の政策の意図、国内事情や海外事情について広く国民を啓蒙し、文明開化を推進するのが目的であった。三年ほどで廃刊にはなってしまったが、長三州なども寄稿してくれた良い情報誌であった



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明治四年五月十三日 (1871/6/30)

「晴れ。十一時頃に一時の豪雨と雷鳴。安玄佐とその倅が来た。井上世外が話しに来た。先日話した藩の会計局の一件や、その他の件の評議は先延ばしにされたようだ。十年後に待ち受けている大いなる災いが見えている者達はほんの一握りしかいなく、多くの役人達は目の前の問題に対応するのみだ。私はこの...