「晴れ。山縣篤蔵、三好軍太郎、長岡精助と染井の別荘に向かった。正二郎も連れて行った。十二時に到着、数時間ほど飲んでから中村梅荘に行った。梅の花は半分ほど散ってしまった後であったが、それでもまだ数百本は咲いており、その香りが空気を満たしていた。花の下に配置された茂みも良い味を出していた。主人に何杯かの薄茶を馳走になった。そこから別荘に戻り、六時過ぎに帰宅。」
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この二三か月後、私が出資者、山縣篤藏が主筆となり『新聞雑誌』を創刊した。廃藩置県を始めとした政府の政策の意図、国内事情や海外事情について広く国民を啓蒙し、文明開化を推進するのが目的であった。三年ほどで廃刊にはなってしまったが、長三州なども寄稿してくれた良い情報誌であった
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