雨。舟木を離れ、小月で昼食を取り、四時過ぎに下関に到着。今日は一時豪雨であった。常六で野村靖之助と河野亀之進に会い、伊東本陣の御堀を訪ねた。昨年の秋に御堀と別れてから二百日程が過ぎたが、その間に彼は酷く衰弱し、今や骨と皮だけになり果てていた。在りし日の壮健な姿を思い出し、私は哀れで堪らなかった。昔話をしている内に、どうも気が滅入ってしまい、暫し涙を流さずにはいられなかった。彼と別れてから、大田老人と毛利左門を訪ね、また鈴木にも会った。八時過ぎに菊谷の……に泊まった。小松健二郎と藤松多之助が訪ねて来た。池良も来た。記、内田助七が日田の近況について話しに来たので、私は自分の愚案を託し、彼を小倉に派遣した。」
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御堀は私より一回り若い偉丈夫で、私同様、江戸の弥九郎先生の道場で塾頭を務めた経歴の持ち主だ (写真中央、ちなみに一緒に写っているのは山縣、市君、品川と時山だ)。禁門の変、下関戦争の両方に参加した後、市君と品川と一緒に御楯隊を結成し、東行の挙兵に加わり活躍した。
維新後には、山縣や西郷従道と共に欧州視察に派遣されるなど、輝かしい前途が約束されていた。だがその旅中に肺の病に罹ってしまい、二年と経たぬ内に、齢僅か三十一でその人生を終えてしまった。人生の如何に儚きことか……
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