2021/04/17

明治四年二月二十八日 (1871/4/17)

 「雨。骨董屋の大吉、播吉、山中屋が来た。今回蒐集したのは古銅の釣瓶、古銅の香炉、古染付の花瓶、小切二枚を合わせた山湯高濱の掛け軸であった。世外(井上馨)と素狂(山縣有朋)に手紙を書いた。吉井源馬と山田市之丞(顕義)が来た。宗像宗十郎と大岡大眉も来訪。四時前に藩邸前から舟に乗り松島へ、そこから神戸行きの川蒸気に乗り込んだ。六時に到着し、布引屋に一泊。」

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書道と酒宴と花見を除けば、骨董品の蒐集は私の一番の趣味と言っても良い。この時の出張でも、中々素晴らしい品々を集めることが出来た。『もう置くところがないんだから少しは控えてください』と松は言うが、骨董品は集めるも楽し、眺めるも楽し、また人に上げるのにでも便利ということで止め難い。

ちなみにこの日私を訪ねてきた骨董屋のひとつ山中屋は、入り婿である山中定次郎の手により山中商会として明治後半に躍進する。明治二十八年(1895年)、誰よりも一早くニューヨークで店舗を開いた彼は、その後もボストン・ロンドン・パリと矢次早に出店し、欧米の日本ブームを捉えることに成功した。あのメトロポリタン美術館も『我々が二十世紀初頭に素晴らしい日本のコレクションを築くことが出来たのは、ひとえにYamanaka & Coのおかげだ』と言っているぐらいだ。山中商会はその後、第二次世界大戦のせいで在外資産を凍結され、店舗も閉鎖されたが、商会自体は未だに存続している



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明治四年五月十三日 (1871/6/30)

「晴れ。十一時頃に一時の豪雨と雷鳴。安玄佐とその倅が来た。井上世外が話しに来た。先日話した藩の会計局の一件や、その他の件の評議は先延ばしにされたようだ。十年後に待ち受けている大いなる災いが見えている者達はほんの一握りしかいなく、多くの役人達は目の前の問題に対応するのみだ。私はこの...