「晴れ。杉、野村、小川と大吉に会いに行ったが、主人が不在であったので、新斎橋通りに出て、河吉の所で本を購入した。また、主人の秘蔵の一品である竹田作の掛け軸を拝見した。そこから山中屋に行き、数十の書道と水墨画を鑑賞。二時過ぎに山田市之丞(顕義)を訪ね昼食を共にした。その後、舟で桜宮に向かい、川沿いの桜で花見をした。舟中には酒も茶も無く、ただ美しい景色のみを純粋に楽しんだ。絶妙であった。桜宮の川べりを散歩していると、私はふと、1864年の秋にこの地で斃れた我が息子、勝三郎を思い出し、私は悲しみに押しつぶされた。それからはこの景色もただ切なく、孤独にしか見えなくなった。その後、遠藤謹助を訪ね、造幣局を視察した。帰り際に舟で北堀に寄り、川佐楼で酒と食事を楽しみ、十一時に藩邸に帰還。十二時過ぎに井田五蔵が訪ねて来た。彼は東京での状況を懸念しており、朝廷が不良の輩共を一掃し、管中を整理し、凛然たる威厳を取り戻すことを望んでいた。朝廷の現状については、私も思うところ、口を開くのも辛いことも多い。私の最近の心痛は名状しがたいものだ。」
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勝三郎は私の姉、八重子の子で、私の最初の養子だ。十七歳の若さで禁門の変に参加したが負傷……敵の捕虜になることを良しとせず、大阪桜宮の舟中で潔く自決した…… 桂の名に恥じぬ、私の誇るべき息子だ。今は私と共に京都の霊山に眠っている
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