2020/12/16

明治三年閏十月二十四日 (1870/12/16)

 「晴れ。九時に参朝、三時に退出。今日は、工部省権大丞に任官された山尾と共に皇居へと向かった。夏以来、工部省の提言についての議論が紛糾していたわけだが、今月11日に政府は漸く結論を出したようだ。北川と松原に向けて手紙を出した、三宅庸助と柿野三郎についてだ。この二人は昨年から放蕩の限りを尽くしており、繰り返し教訓を与えても行いを改めずにおり、終いには逃走したのであった。杉孫七郎に向け、国事について一筆認めた。」

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山尾君とは嘉永五年からの長い付き合いだ。練兵館での鍛錬、一緒に湯屋に行ったり、蛤鍋茶漬けを食いに行った日々はまるで昨日のことのように覚えている。それが今や生きたる器械となり、日本工業化を推し進めている。偉い!


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明治四年五月十三日 (1871/6/30)

「晴れ。十一時頃に一時の豪雨と雷鳴。安玄佐とその倅が来た。井上世外が話しに来た。先日話した藩の会計局の一件や、その他の件の評議は先延ばしにされたようだ。十年後に待ち受けている大いなる災いが見えている者達はほんの一握りしかいなく、多くの役人達は目の前の問題に対応するのみだ。私はこの...