2020/12/27

明治三年十一月六日 (1870/12/27)

 「晴れ。朝廣澤を訪ね、十二時前に帰宅。長安と川瀬が訪ねて来た。一時過ぎに馬車で築地に向かい、その道すがら毛利恭助、吉井源馬、田中顕助、井上世外(馨)に出くわした。後で賣茶楼で落ち合う約束をしてから、柳原卿を訪ね、その後平岡平吉を訪ねた。会話の途中で、我が長州公の弟君……氏がまだ大島郡……に暮らしていると聞いた。五時に席を辞し、賣茶に向かい、八時に帰宅。伊勢小淞と杉猿村から手紙が届いた。倉敷権大参事……が私の不在中に訪ねて来たようであった。」

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田中君は幕末の動乱を生き抜いた人物としてはかなり長命で1939年まで生きた。浮き沈みの大きい人生ではあったが、晩年には零落した志士の遺族達の庇護、遺品や資料の保存に力を尽くしてくれた。土佐生まれにも関わらず東行の弟子を名乗っており、東行詩集の出版も全て彼のお陰だ。



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明治四年五月十三日 (1871/6/30)

「晴れ。十一時頃に一時の豪雨と雷鳴。安玄佐とその倅が来た。井上世外が話しに来た。先日話した藩の会計局の一件や、その他の件の評議は先延ばしにされたようだ。十年後に待ち受けている大いなる災いが見えている者達はほんの一握りしかいなく、多くの役人達は目の前の問題に対応するのみだ。私はこの...