「晴れ。朝廣澤を訪ね、十二時前に帰宅。長安と川瀬が訪ねて来た。一時過ぎに馬車で築地に向かい、その道すがら毛利恭助、吉井源馬、田中顕助、井上世外(馨)に出くわした。後で賣茶楼で落ち合う約束をしてから、柳原卿を訪ね、その後平岡平吉を訪ねた。会話の途中で、我が長州公の弟君……氏がまだ大島郡……に暮らしていると聞いた。五時に席を辞し、賣茶に向かい、八時に帰宅。伊勢小淞と杉猿村から手紙が届いた。倉敷権大参事……が私の不在中に訪ねて来たようであった。」
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田中君は幕末の動乱を生き抜いた人物としてはかなり長命で1939年まで生きた。浮き沈みの大きい人生ではあったが、晩年には零落した志士の遺族達の庇護、遺品や資料の保存に力を尽くしてくれた。土佐生まれにも関わらず東行の弟子を名乗っており、東行詩集の出版も全て彼のお陰だ。
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