2021/01/09

明治三年十一月十九日 (1871/1/9)

「晴れ。朝、大久保が国元の事情について話しに来た。昨年の冬、大久保と私は勅命を受け、薩長の支援を確約するために各々の郷里に向かった。だが予期せず国元での反乱に遭い、最後は武力で兇徒達を抑えざるを得ず、結局元の目的を達成することは叶わなかった。我々は問題を先延ばしにしてきたが、今日これを機に、各々の郷里に戻り計画を推し進めたいと考えている。我々はこの件ついて議論し、十一時頃に一緒に参朝して、我々の目的を三条公に伝えた。三時頃に退出、帰り際に廣澤の所に寄り、五時に帰宅。三条公からの手紙が届いた。」

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大久保を語るに140文字は少なすぎる。彼は人々がまだ藩に忠誠を誓っていた明治の草創期から『日本』の概念を理解することのできる数少ない人間の一人であった。我々が意見を違えるのは少なくなかったが、他の何を置いても日本に尽くす、この一点において、私は彼を完全に信頼していた




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明治四年五月十三日 (1871/6/30)

「晴れ。十一時頃に一時の豪雨と雷鳴。安玄佐とその倅が来た。井上世外が話しに来た。先日話した藩の会計局の一件や、その他の件の評議は先延ばしにされたようだ。十年後に待ち受けている大いなる災いが見えている者達はほんの一握りしかいなく、多くの役人達は目の前の問題に対応するのみだ。私はこの...