「晴れ。朝、大久保が国元の事情について話しに来た。昨年の冬、大久保と私は勅命を受け、薩長の支援を確約するために各々の郷里に向かった。だが予期せず国元での反乱に遭い、最後は武力で兇徒達を抑えざるを得ず、結局元の目的を達成することは叶わなかった。我々は問題を先延ばしにしてきたが、今日これを機に、各々の郷里に戻り計画を推し進めたいと考えている。我々はこの件ついて議論し、十一時頃に一緒に参朝して、我々の目的を三条公に伝えた。三時頃に退出、帰り際に廣澤の所に寄り、五時に帰宅。三条公からの手紙が届いた。」
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大久保を語るに140文字は少なすぎる。彼は人々がまだ藩に忠誠を誓っていた明治の草創期から『日本』の概念を理解することのできる数少ない人間の一人であった。我々が意見を違えるのは少なくなかったが、他の何を置いても日本に尽くす、この一点において、私は彼を完全に信頼していた
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