「晴れ。六時頃に家を出て、大隈の元へ向かった。私が到着した頃には、正親町三条卿は既にお越しになられていた。少しして大久保も到着し、我々は品川沖に停泊中の船の一つに乗船した。イギリス人……も我々と共に乗船していたが、大隈は気分が優れないとのことで一緒に来なかった。今回のこれは灯台の検査の旅だ。十二時に横浜に着くと、イギリス公使パークス夫婦、ロバートソン領事、サトウ書記官が乗船して来た。サトウに会うのは、彼が日本に帰って来てから初めてのことだ。二時過ぎに横須賀に到着し、製鉄所を見分。……宿で小休憩してから七時過ぎに船に戻った。夜にはパークスとサトウと会話。今日は西風が強烈であった。」
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サトウに初めて会ったのは慶応三年で、俊輔と坂本君と一緒に商談を取りまとめようとしていた時のことであった。俊輔は『この人エゲレス人なのに佐藤なんですよ』なんて下らない駄洒落を言っていたが、実はサトウ自身、後に『佐藤』や『薩道』と自称しはじめたのにはたまげた。
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