2021/02/27

明治四年一月九日 (1871/2/27)

 「雨、今日は勅使が藩官をお訪ねになり、従二位の毛利公が勅許を拝命した。その後、勅使一行は豊榮神社にお参りになり、刀剣を奉納した。甥の和田芳助が訪ねて来た。夜、坪井、長屋、山縣、正木、国重が飲みに来た。今夜、私は二人の毛利公に会いに政廟に向かった。天下の大勢について論じ、薩摩藩の考えを伝え、夜になる前に退出。両公とも私の考えに賛同なされ、私は感涙溢れるばかりであった。」

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豊榮神社は長州の祖である毛利元就公を祭神とした祭っており、元は宝暦十二年(1762年)以来の神社なのだが、天皇陛下に『豊榮』の神号を賜ったのはつい最近、明治二年のことであった。此度の勅使の一環として岩倉卿に刀剣を奉納頂き、またこの年後半に、現社殿への遷座が行われた



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明治四年五月十三日 (1871/6/30)

「晴れ。十一時頃に一時の豪雨と雷鳴。安玄佐とその倅が来た。井上世外が話しに来た。先日話した藩の会計局の一件や、その他の件の評議は先延ばしにされたようだ。十年後に待ち受けている大いなる災いが見えている者達はほんの一握りしかいなく、多くの役人達は目の前の問題に対応するのみだ。私はこの...