2021/02/26

明治四年一月八日 (1871/2/26)

「晴れ。山縣狂介(有朋)、三好軍太郎、有富源兵衛が来た。岩倉卿からのお手紙が届いた。二時過ぎに大久保を訪ねると、西郷も同席しており、そこで彼等の考えを聞いた。私は早くから版籍返上の案を考えていたわけだが、遂に国家がこの計画を実行することになりそうだ。私はこれを始めとして、世界諸国に並び立つことができるような、より強固な地盤を持った国家を作り上げたい。最初は足掛かりすらなかった、だが二年余りの努力の後、今日ようやく計画を実行に移す時が来たのだと、私は信じている。我々はこの計画の大意を議論し、要点に関する決断を下した。五時過ぎに退出し、岩倉卿にこの計画の主点について伝えに行った。夜、宿に戻る。来客が絶えなかった。」

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私の一生は期待と失望の繰り返しであったが、そんな中、一点の曇りもなく誇りに思っている功績を一つ挙げるとしたら、それは廃藩置県だ。明治四年は未だに安定とは程遠く、実質的な治世は未だに旧藩主達に任されていた。藩を廃し、代わりに中央政府が派遣した知事達を各県に派遣すべしという案は、当時の政府の人間なら誰もが考えていたことだが、それを今行えるかどうかは、誰にも分かっていなかった。私は元より廃藩置県の提唱者であったが、従来は漸進的な大久保もがこれに賛同し、また西郷を説得してくれたのは、統一国家日本にとって何よりの幸運であった



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明治四年五月十三日 (1871/6/30)

「晴れ。十一時頃に一時の豪雨と雷鳴。安玄佐とその倅が来た。井上世外が話しに来た。先日話した藩の会計局の一件や、その他の件の評議は先延ばしにされたようだ。十年後に待ち受けている大いなる災いが見えている者達はほんの一握りしかいなく、多くの役人達は目の前の問題に対応するのみだ。私はこの...