2021/01/10

明治三年十一月二十日 (1871/1/10)

 「朝曇り、その後雨。九時に三条公に会い、そのまま参朝、四時過ぎに退出。廣澤と共に宍戸敬宇を訪ね、六時過ぎに帰宅。今朝、斎藤新太郎が……屋敷の問題について話しに来て、今夜また同じ問題について話をしに戻ってきた。」

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新太郎先生は斎藤弥九郎先生の長男で、元を辿れば、廻国修行の最中に神道無念流を長州に紹介したのも彼であった。下関事件の折には、偶々下関に居合わせたというだけの理由から、敵の軍艦に切り込もうと庚申丸に乗り込みになられた豪快な御仁であった



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明治四年五月十三日 (1871/6/30)

「晴れ。十一時頃に一時の豪雨と雷鳴。安玄佐とその倅が来た。井上世外が話しに来た。先日話した藩の会計局の一件や、その他の件の評議は先延ばしにされたようだ。十年後に待ち受けている大いなる災いが見えている者達はほんの一握りしかいなく、多くの役人達は目の前の問題に対応するのみだ。私はこの...