2021/01/14

明治三年十一月二十四日 (1871/1/14)

 「風雪。三条公から手紙が届く。今日は新嘗祭の休日だ。昨夜、南校の御雇いイギリス人達……が暴行されるという事件が起きた。下手人達はまだ捕まっていない。右大臣(三条実美)の要請で、私と廣澤は一緒に参朝し、三時に退出した。先日友人に頼まれた額縁入りの揮毫を仕上げた。板垣退助が来訪、五時過ぎには廣澤も来た。我々一同は新嘗祭を祝いに神祇官に参上、諸官員達も来ていた。十二時に帰宅。」

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この事件の被害者、ダラスとリングは御雇い語学教師で、高橋是清の同僚でもあった。二人は妾を引き連れて歩いており、しかも途中で護衛を返した後、提灯もつけずに築地から日本橋を渡った所で暴漢に襲われたのだ。この時期にその様な振る舞いをするなど不用意も良いところだと思うのだが……

二人はかのウィーラー先生の治療のお陰で一命を取り留めた。ちなみダラス氏はこの後米沢藩に教師として招聘され、そこで食べた米沢の牛肉を横浜の居留地仲間に紹介し、その販売網の立ち上げを助けてくれた『米沢牛の恩人』だ。人の縁とは奇妙なものだ。



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明治四年五月十三日 (1871/6/30)

「晴れ。十一時頃に一時の豪雨と雷鳴。安玄佐とその倅が来た。井上世外が話しに来た。先日話した藩の会計局の一件や、その他の件の評議は先延ばしにされたようだ。十年後に待ち受けている大いなる災いが見えている者達はほんの一握りしかいなく、多くの役人達は目の前の問題に対応するのみだ。私はこの...