2021/01/13

明治三年十一月二十三日 (1871/1/13)

 「晴れ。十時に参朝、退出後、正親町三条卿亭で会談。五時に帰宅。夜には斎藤新太郎、吉富藤兵衛(簡一)、福井順道、河瀬県知事(秀治)が来訪。」

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吉富は同じ湯田出身である聞多の幼馴染だ。昨年山口での反乱の折には私の脱出を助け、更にその鎮圧に成功した有能な男であった。私は後に彼を岩倉使節団に推薦したが、彼はこれを断り山口に残った。聞多・俊輔・山縣とは一生涯の盟友で、彼等が中央を、吉富は地元の政治基盤を掌握していた



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明治四年五月十三日 (1871/6/30)

「晴れ。十一時頃に一時の豪雨と雷鳴。安玄佐とその倅が来た。井上世外が話しに来た。先日話した藩の会計局の一件や、その他の件の評議は先延ばしにされたようだ。十年後に待ち受けている大いなる災いが見えている者達はほんの一握りしかいなく、多くの役人達は目の前の問題に対応するのみだ。私はこの...