2021/01/29

明治三年十二月九日 (1871/1/29)

 「晴れ。七時に舟で淀川を下り始め、四時頃に網島に到着。井上彌吉(勝)を訪ねたが不在であった。代わりにご老人に会い、彼と暫し会話した。昔と変わらず壮健であられた。山田を訪ねる。夜には佐々木、松本、河野と井上が訪れ、結局全員が泊って行った。」

==========

彌吉(勝)は所謂『長州ファイブ』の一人で、俊輔、聞多、山尾、遠藤の密航仲間だ。一年前の私の呼びかけに応え、以来、新政府の鉄道事業に携わっていた。当時の日本は技術力に欠け、イギリス人技師のモレルに頼りきりであったが、彌吉は良く学び、モレルが事業半ば斃れた後も鉄道開業に尽くした



0 件のコメント:

コメントを投稿

明治四年五月十三日 (1871/6/30)

「晴れ。十一時頃に一時の豪雨と雷鳴。安玄佐とその倅が来た。井上世外が話しに来た。先日話した藩の会計局の一件や、その他の件の評議は先延ばしにされたようだ。十年後に待ち受けている大いなる災いが見えている者達はほんの一握りしかいなく、多くの役人達は目の前の問題に対応するのみだ。私はこの...