2021/01/03

明治三年十一月十三日 (1871/1/3)

 「深夜十二時に錨を上げて阿波の……に向けて出発した。荒波のせいでそこでの灯台を見分することは叶わなかったので、十一時に相模の剣崎灯台に向かった。そこで三時過ぎまで諸器械を降ろしてから、六時頃に横浜へと帰還した。正親町三条卿、大久保と私は通商司會舎に向かい一泊した。私はそこから正二郎のところに向かい、私と一緒に過ごせるよう連れて来た。」 

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明治四年五月十三日 (1871/6/30)

「晴れ。十一時頃に一時の豪雨と雷鳴。安玄佐とその倅が来た。井上世外が話しに来た。先日話した藩の会計局の一件や、その他の件の評議は先延ばしにされたようだ。十年後に待ち受けている大いなる災いが見えている者達はほんの一握りしかいなく、多くの役人達は目の前の問題に対応するのみだ。私はこの...