2021/02/01

明治三年十二月十二日 (1871/2/1)

 「晴れ。九時に大久保を訪ね、共に岩倉卿の家に向かい、兵部省出張所へ軍隊の調練を見分。その後、大阪城内の諸局を見学し、天守閣へと登り眺望した。豊臣秀吉公のこの地に抱いていた計画の規模の大きさが想像できた。二時過ぎに藩邸に戻り、山縣と高屋から土佐の近況について聞いた。高屋は日田行きを止め東京に戻ることを決めたため、再び岩倉卿を訪れ、山田と高屋とも相談しつつ、代わりに林少丞を送り込むことを決めた。七時過ぎに退出し、帰り際に大久保を訪ねてから、藩邸に戻った。」

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私は昔から秀吉公を深く尊敬している。生まれ身分ではなく、ただ身一つで立身出世を成し遂げたという彼の痛快な功績は、誰もが倣うべきものだ……と、大久保に話してみたところ『私は、より辛抱強く、より効果的な国造りに成功した家康公のほうがより尊敬しています』との返事が返ってきたのであった

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明治四年五月十三日 (1871/6/30)

「晴れ。十一時頃に一時の豪雨と雷鳴。安玄佐とその倅が来た。井上世外が話しに来た。先日話した藩の会計局の一件や、その他の件の評議は先延ばしにされたようだ。十年後に待ち受けている大いなる災いが見えている者達はほんの一握りしかいなく、多くの役人達は目の前の問題に対応するのみだ。私はこの...