2021/02/13

明治三年十二月二十四日 (1871/2/13)

「晴れ。十二時前に瓦屋を出て、高杉、野邨、毛利を訪ねてから、両公との謁見にお城へと向かった。岩倉卿が山口を訪れる予定であることを報告差し上げた。退出後、大津を訪ね、六時頃に瓦屋へと戻り宿泊。夜に雨。記、竹田の治療を受けた。」

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長州の両公については何から話せばよいか……御老公は人一倍に人物眼に優れ、強く民を想う心をお持ちの名君であった。年功序列を一切気にせず有能な若手を取り立て、また私欲野心を持たず、維新の折には他藩に率先して版籍奉還にご賛同下さった。この御方に仕えることが出来たのは私の一生の幸運だ。知事公(毛利元徳)は御老公とは縁戚の養子だ。小姓の一人が聞多であったこともあり、また年齢的にも御老公より少し過激なところもあったが、常に御老公を立て、二人一丸となり我々を手助けして下さった



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明治四年五月十三日 (1871/6/30)

「晴れ。十一時頃に一時の豪雨と雷鳴。安玄佐とその倅が来た。井上世外が話しに来た。先日話した藩の会計局の一件や、その他の件の評議は先延ばしにされたようだ。十年後に待ち受けている大いなる災いが見えている者達はほんの一握りしかいなく、多くの役人達は目の前の問題に対応するのみだ。私はこの...