2021/02/14

明治三年十二月二十五日 (1871/2/14)

「小雨。十時に湯田を離れ、一時頃に勝坂……に着き、休みながら昼食を食べた。ここでは杉遠邨が私を待っており、そこから共に三田尻部署まで下山した。貞永幽之助を訪ね、九時に問屋口の竹内素助に会い、夜はそこに泊まった。岩倉卿は昨日か今日到着する予定であったが、まだ到着したとは聞いていない。記、貞永の山根秀策に会い、話をした。」

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貞永は三田尻で塩等を取り扱っていた豪商一族で、献金等での藩への貢献も目覚ましく、その縁から聞多や私はよく出入りしていた。慶応二年の暮れ、私が英国キング提督と両公の会見を手配した際にも、貞永に相談して隼太邸を使わせてもらったのであった。我ながら上出来な饗宴であったと自負している





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明治四年五月十三日 (1871/6/30)

「晴れ。十一時頃に一時の豪雨と雷鳴。安玄佐とその倅が来た。井上世外が話しに来た。先日話した藩の会計局の一件や、その他の件の評議は先延ばしにされたようだ。十年後に待ち受けている大いなる災いが見えている者達はほんの一握りしかいなく、多くの役人達は目の前の問題に対応するのみだ。私はこの...