2021/02/21

明治四年一月三日 (1871/2/21)

「曇り。戯れに揮毫した。私は島田助七を日田県に派遣しようと思い、先日その意向を伝えたのだが、彼は病で旅行は叶わないとのことであった。代わりに秋山周作が来たので、私は彼に松方、鳥尾、遠田甚助、池良宛の手紙を彼に託した。……が酒と食事を土産に訪ねて来た。」

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泰平の世に生まれていたら、私はどのような道を歩んでいたか?剣道家として道場でも開いたか、それともさっさと隠遁し晴耕雨読の日々を送っていたであろうか?今となっては、分からない。いずれにせよ書道は好きであったし、どこに行っても揮毫を求められた。幼少期に良き師に恵まれたことを感謝しよう



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明治四年五月十三日 (1871/6/30)

「晴れ。十一時頃に一時の豪雨と雷鳴。安玄佐とその倅が来た。井上世外が話しに来た。先日話した藩の会計局の一件や、その他の件の評議は先延ばしにされたようだ。十年後に待ち受けている大いなる災いが見えている者達はほんの一握りしかいなく、多くの役人達は目の前の問題に対応するのみだ。私はこの...