「晴れ。新築地を散歩し、御船蔵の中を通り、伊木見に向かった。藤松多之助が訪ねて来た。梶取、同町等も来た。終日、杉、坪井、貞永が私に同行した。今日は、肥後熊本藩の湯治一が訪ねて来た。岩倉卿と彼の一行が我が藩に到着したため、会いに来たとのことであった。杉と私は相談しに宿の山城屋に向かった。」
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御船蔵は慶長以来の毛利家の水軍基地で、東行が文治元年(1864年)に決起した折に、二十人弱の手勢と共に襲撃し、無血で軍艦を奪取したのもここの話だ(今はもう埋め立てられており見る影もないが)。私はその後、大村に請われ但馬出石での隠遁生活を終え、長州藩の指導者的位置に据えられたのであった……
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