2021/02/23

明治四年一月五日 (1871/2/23)

「晴れ。新築地を散歩し、御船蔵の中を通り、伊木見に向かった。藤松多之助が訪ねて来た。梶取、同町等も来た。終日、杉、坪井、貞永が私に同行した。今日は、肥後熊本藩の湯治一が訪ねて来た。岩倉卿と彼の一行が我が藩に到着したため、会いに来たとのことであった。杉と私は相談しに宿の山城屋に向かった。」

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御船蔵は慶長以来の毛利家の水軍基地で、東行が文治元年(1864年)に決起した折に、二十人弱の手勢と共に襲撃し、無血で軍艦を奪取したのもここの話だ(今はもう埋め立てられており見る影もないが)。私はその後、大村に請われ但馬出石での隠遁生活を終え、長州藩の指導者的位置に据えられたのであった……



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明治四年五月十三日 (1871/6/30)

「晴れ。十一時頃に一時の豪雨と雷鳴。安玄佐とその倅が来た。井上世外が話しに来た。先日話した藩の会計局の一件や、その他の件の評議は先延ばしにされたようだ。十年後に待ち受けている大いなる災いが見えている者達はほんの一握りしかいなく、多くの役人達は目の前の問題に対応するのみだ。私はこの...