「晴れ。五時過ぎに錨を上げ、十一時頃に下関に到着、上陸。四条少将を始めとした諸官は、伏見から連れて来た二中隊と共に、小倉に上陸した。私は網三の所に泊まった。野村靖、李家文厚、宗像宗十郎、平原平作、小松……と池良が来た。」
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李家文厚は毛利公の侍医の一人なのだが、馬関戦争から西南戦争に至るまで従軍医を務められた方で、砲弾が飛び交う中、高いびきで寝ることが出来るほどの豪傑だ。東行の主治医の一人として、最期を看取ってくれた、私にとっての恩人でもある
「晴れ。十一時頃に一時の豪雨と雷鳴。安玄佐とその倅が来た。井上世外が話しに来た。先日話した藩の会計局の一件や、その他の件の評議は先延ばしにされたようだ。十年後に待ち受けている大いなる災いが見えている者達はほんの一握りしかいなく、多くの役人達は目の前の問題に対応するのみだ。私はこの...
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