2021/03/24

明治四年二月四日 (1871/3/24)

「晴れ。来客絶えず。大隈参議、井上少輔、山口中辨、三浦小丞が話しに来た。記、森寺が話しに来た。河瀬安四郎の手紙が届いた。」

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河瀬安四朗(真孝)は東行の信頼も厚い奇兵隊の精鋭であったのだが、維新直前になり洋行を願い出るという中々に柔軟な思考も持っていた。私は彼のためにグラバーと話をつけ、彼の英国留学を周旋した。この経験を活かし、彼は後にイタリアとイギリスでの外交に励むことになる

ちなみに河瀬の結婚相手である英子夫人は大恩ある江川先生の次女で、その縁から彼女は婚姻前に私の養女となった。流石は先生の娘さん、彼女はイギリスでもイタリアでも才媛ぶりを遺憾なく発揮し、通訳無しにイタリア国王とも会話をされたそうだ(写真は松と英子さん)



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明治四年五月十三日 (1871/6/30)

「晴れ。十一時頃に一時の豪雨と雷鳴。安玄佐とその倅が来た。井上世外が話しに来た。先日話した藩の会計局の一件や、その他の件の評議は先延ばしにされたようだ。十年後に待ち受けている大いなる災いが見えている者達はほんの一握りしかいなく、多くの役人達は目の前の問題に対応するのみだ。私はこの...