2021/03/23

明治四年二月三日 (1871/3/23)

「晴れ。朝、周布金槌、小倉右衛門介と河野光太郎が来た。彼等は明日、私が周旋した洋行に出発する。彼等には、海外在留中の人々への伝言と幾つかの用事を頼んだ。九時にエリオット先生を訪ね、歯薬を頂いた。十時過ぎに横浜を出て、一時前に大森の梅屋敷に向かった。梅の花はもう半分ほど既に散ってしまっていた。二時に河崎屋で食事を取り、井上世外(馨)が人を送って寄越したので、彼を訪ね、そこで杉、宍戸、野村、藤井、井上彌吉、赤川雄三と会った。五時過ぎに帰宅。長、三浦、小野、杉山、井上、河村、佐々木、加藤、斎藤、天野、沢畑、その他数十名の来客。私達は飲み語り、時事を憂いた。我等の亡き友、障岳(広沢真臣)に話題が及ぶと、私は一言だに出来なかった。ちなみに今日は大隈が私を私の家で待っていたと、また昨日には私が帰ってきたと知った十数人が私を訪ねて来たと聞かされた。神田邸から八人の兵士達がやって来て、宿直警護に当たった。」

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今で言う京急蒲田にあるこの梅屋敷は、広重の名所江戸八景にも含まれた快い庭園だ。徳川の将軍達、数多くの志士達、そして明治天皇陛下にすら親しまれたこの庭園は、私の大のお気に入りであった。もう建物は残っていないが、庭園は公園として残っている。行ってみてはいかがかな?



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明治四年五月十三日 (1871/6/30)

「晴れ。十一時頃に一時の豪雨と雷鳴。安玄佐とその倅が来た。井上世外が話しに来た。先日話した藩の会計局の一件や、その他の件の評議は先延ばしにされたようだ。十年後に待ち受けている大いなる災いが見えている者達はほんの一握りしかいなく、多くの役人達は目の前の問題に対応するのみだ。私はこの...