2021/03/31

明治四年二月十一日 (1871/3/31)

「晴れ。大久保参議が話しに来た。山縣狂介(有朋)と三浦梧楼も来た。大木民平と江藤新平が訪ねて来た。宍戸と杉も話しに来た。三条公のお手紙が届いた。昨日信州から戻ったばかりの福原狂介も今日会いに来た。」

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江藤は極めて優秀な法家であったが、同時に潔癖と冷徹が過ぎるところがあった。私は長州勢だけでなく、彼や大隈の様に他藩の人間でも有能な人材は採用することを強く支持していたが、彼はそれでも薩長が権力を握りしめていることが面白くなかったらしく、私の洋行中に大分色々とやらかしてくれた。それでも私自身は彼の事は嫌いではなく、後に彼が謀反に加担し捕らえられた時にも彼の為に三条公に存命を願う手紙を出したが、これは実現せず、彼は異常なまでの早さで処刑されてしまった。またいずれ詳しく書くであろうが、彼の人生一の失敗は、大久保を敵に回してしまったことであろう



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明治四年五月十三日 (1871/6/30)

「晴れ。十一時頃に一時の豪雨と雷鳴。安玄佐とその倅が来た。井上世外が話しに来た。先日話した藩の会計局の一件や、その他の件の評議は先延ばしにされたようだ。十年後に待ち受けている大いなる災いが見えている者達はほんの一握りしかいなく、多くの役人達は目の前の問題に対応するのみだ。私はこの...