2021/03/04

明治四年一月十四日 (1871/3/4)

「白雪が空を満たし、四方の山は宝石のようだ。勅使一行は今朝出発し、小郡口を通り出て、今は亡き大村(益次郎)兵部大輔の墓参りをしてから三田尻へと進んだ。明日御船で発たれる予定だ。大久保も今朝出発した。十二時過ぎに新御殿に参上し、御裏で拝謁。その後政廟に参上し、いくつかの議題に関して愚案を建言、五時頃にまた御裏に戻り両公の奥方様達に拝謁した。八幡と山田を訪ね、薄暮に宿に戻った。三文字屋虎二郎が来た。彼は昨年の国難の節には陰ながら私達を助けてくれたので、彼には短冊に書かれた三条公の詩を贈った。今日も来客山の如し。 これは全ての名前ではないが、山縣弥八、坪井宗右衛門、大津四郎右衛門、岡義介、寺内、佐藤弥、正木市、兼重譲、白根多、秋良敦、岡村熊、その他大勢が来たが、ここに全ての名前を書くのは無理だ。最後の客が去ったのは、もう四時近くであった。」

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明治四年五月十三日 (1871/6/30)

「晴れ。十一時頃に一時の豪雨と雷鳴。安玄佐とその倅が来た。井上世外が話しに来た。先日話した藩の会計局の一件や、その他の件の評議は先延ばしにされたようだ。十年後に待ち受けている大いなる災いが見えている者達はほんの一握りしかいなく、多くの役人達は目の前の問題に対応するのみだ。私はこの...