2021/03/05

明治四年一月十五日 (1871/3/5)

「昨夜訪ねて来た人々がまた来たのに加え、その他の客人達で我が家は一杯であった。私が十時過ぎに出発した時には、糸米の農民達が総出で見送りに来てくれた。中村芳三郎、大津四郎右衛門、鹿島庄右衛門と片山熊二郎が三田尻まで送ってくれた。勝坂元兵衛の家で小休憩、食事を取った。四時過ぎに問屋口に着き、西郷、大久保、池ノ上と落ち合い、肥後屋に泊まった。梶取、同町、藤松と山根が来た。」

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私の自宅があった糸米村の農民達は皆、素朴で良い人達であった。私は遺言で自宅と山林を糸米村に寄付し、村民の学資とするよう希望し、これは正二郎によって実現された。少し恥ずかしいのだが、村民達はこれに恩を感じたのか、私を祭神として木戸神社を創建してくれた。春の桜が美しい、良き神社だ



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明治四年五月十三日 (1871/6/30)

「晴れ。十一時頃に一時の豪雨と雷鳴。安玄佐とその倅が来た。井上世外が話しに来た。先日話した藩の会計局の一件や、その他の件の評議は先延ばしにされたようだ。十年後に待ち受けている大いなる災いが見えている者達はほんの一握りしかいなく、多くの役人達は目の前の問題に対応するのみだ。私はこの...