「曇り。八時頃、雨が降り始めた。暁に鞆沖を過ぎ、十一時過ぎに御手洗を通過、六時頃に上関に到着。肥後屋を訪ねている間は雨足も遠のいていたが、夜になりまた降り始めた。1868年の春、私は浪華での戦いが始まる前に山口を発ち、その道中、京都の不穏な状況について聞き及び、心中切迫しつていた。しかし風に行く手を阻まれ、この宿に数日宿泊せねばならなかった。最終的に、風潮に逆らい広島まで辿り着き、蒸気船を雇い尾道に至ったのであった。今夜こうして往時を思うに、ひどく感慨深かった。十一時過ぎに帰艦し錨を上げたが、強烈な西風のせいで周防海に出ることが叶わず、また上関まで戻ってきた。」
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長州から見て、瀬戸内海の西端には下関が、東端には上関がある。私が泊っていた肥後屋はこの地で一番の名宿で、八月十八日の変で都落ちとなった五卿が三田尻に向かう途中に宿泊したのもこの宿だ。東行と私の定宿でもあった肥後屋は、私にとって思い出の深い場所だ
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