2021/04/21

明治四年三月二日 (1871/4/21)

 「晴れ。楫取と貞永が訪ねて来た。十時頃に宿を出て貞永の所に行き、酒と食事を楽しんだ。二時過ぎに山口城下町に入り、中村屋に向かった。そこから藩廟に向かい、御両公に拝謁した。私は東京での情勢を伝えると共に勅命をお渡しし、六時頃に退出した。大津と杉と共に小幡を訪ねたが不在。山縣を訪ね片山に向かった。プロイセン人のベルリンとも一緒で暫し話し込んだ。柏村権大参事、木梨連、殿川市助も同席。十一時頃に宿に戻る。今日、三田尻の土井屋に雛人形を贈った。土井屋はここ七年来の私の定宿で、主人の岡某に今年女の子が生まれたと聞いたからだ。」

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雛祭りの風習は古来よりあるものだが、雛人形を飾るのが人気になったのは江戸時代以降だと聞いている。私が贈ったこの人形は、江戸の後半から明治にかけて人気になった『古今雛』というもので、煌びやかな衣装や、水晶やガラスの玉眼が使われているのが特徴だ



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明治四年五月十三日 (1871/6/30)

「晴れ。十一時頃に一時の豪雨と雷鳴。安玄佐とその倅が来た。井上世外が話しに来た。先日話した藩の会計局の一件や、その他の件の評議は先延ばしにされたようだ。十年後に待ち受けている大いなる災いが見えている者達はほんの一握りしかいなく、多くの役人達は目の前の問題に対応するのみだ。私はこの...