2021/05/12

明治四年三月二十三日 (1871/5/12)

「雨。斎藤栄蔵が来た。吉春も話しに来た……彼は佐畑の父だ。二時頃に久保が来て、昨日の評決の経済面について山縣が不服に思っていると教えてくれた。私はこの一件について目的を成就することが出来なくなることを恐れ、もう一度評議を開きたいと考え、野村の所へと向かった。不在であったので、一筆書き残しておいた。山田の所に行ったが不在で、また山縣の所も試したが同じく不在であった。六時過ぎに帰宅。今夜は片山一家と大津翁が訪ねて来た。夜、野村からの手紙が届いたので、すぐに返事を返した。記、遠田甚助に手紙を出した。野村の手紙の中には、群用局設立の案が今日認可されたと書かれていた。これは先日、私が建言していた提案で、政府と人々の間のやり取りを改善するためのものだ」

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実を言うと、事前に訪問する約束を取り付けずに人を訪ねるのは私の趣味のようなものだ。私の立場柄、事前に約束をすると、多くの人々を構えさせてしまい、率直な意見を聞けないこともあるのだ。とは言え、この日の様に三件訪ねて全て不在だと流石に気落ちしてしまう……

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明治四年五月十三日 (1871/6/30)

「晴れ。十一時頃に一時の豪雨と雷鳴。安玄佐とその倅が来た。井上世外が話しに来た。先日話した藩の会計局の一件や、その他の件の評議は先延ばしにされたようだ。十年後に待ち受けている大いなる災いが見えている者達はほんの一握りしかいなく、多くの役人達は目の前の問題に対応するのみだ。私はこの...