2021/05/21

明治四年四月三日 (1871/5/21)

「晴れ後、雨。森清蔵が訪ねて来て、北海道について議論した。清蔵は近日東京に向けて発ち、その後北海道に行く予定だ。杉が来て、一緒に出仕した。今日は御老公の御棺の前で念仏を唱える儀式があり、知事公は御棺前で御父君の遺書を大参事にお渡しになられた。我々は皆涙を流しており、嗚咽を抑え込んでいた。一同は改めて御棺の前に進み出て、拝伏してから退出した。昨夜、長松少辨が日田から戻り、九州の近情について聞いた。彼の話では、薩摩も近い内に出兵する予定だという。また、大楽源太郎が久留米で暗殺されたという報があった。久留米の人々の、この軽薄な行いは信じ難いものだ。三条岩倉両卿にどのように報告するべきか、長松に指示を出しておいた。四時過ぎ退出し帰宅。東京での用事について幾つか忘れていたことがあったので長松を訪ね、詳細な指示を出した。帰り際に瓦屋に寄り、日下一郎(義雄)と話し、また山田を含めた数人と会い、十時過ぎに帰宅。記、清末の知事……が来た。今日、徳山と清末の両知事が我々と藩廟で面会し、本末合併の件について議論した。」

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明治四年五月十三日 (1871/6/30)

「晴れ。十一時頃に一時の豪雨と雷鳴。安玄佐とその倅が来た。井上世外が話しに来た。先日話した藩の会計局の一件や、その他の件の評議は先延ばしにされたようだ。十年後に待ち受けている大いなる災いが見えている者達はほんの一握りしかいなく、多くの役人達は目の前の問題に対応するのみだ。私はこの...