「晴れ。八時頃に中村芳之助が陸軍局について話しに来た。九時過ぎに湯田に行き、山田と兵事について議論した。二時に出仕、柏村を始めとした数名と徴兵制について話し合った。また諸部の大属達と今後の事業について打ち合わせた。痛嘆に値することが少なくない。七時過ぎに御棺を拝みに行き、そこから御墓地へと移動し、八時頃に帰宅。」
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私は早い段階から、大村や山縣の主張する国民皆兵、徴兵制を支持してきた。日本が近代国家の仲間入りをする上で、これは避けては通れぬ道であった。だが国民全体から広く兵を募るということは、『戦うこと』が存在意義であった武士達を解体し四民平等を導入することと同義であった。当然士族からの反発は強く、また政府内にも保守派の反対論者は少なくなかった。大村を暗殺したのも、徴兵令を含めた軍制改革に不満を抱いた者達だ。徴兵令は結果として最初明治六年に発布され、これは軍の近代化を進めるのに貢献した一方、後の不平士族の反乱へとも発展した
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