2021/05/06

明治四年三月十七日 (1871/5/6)

「強烈な東風と豪雨。来客絶えず。豊浦、三好、品川のお招きにあずかり四時過ぎに大阪楼に出向き、昨日話せなかった内容について議論した。十一時頃に宿に戻る。峯が一緒に泊まりに来た。池良の所に滞在していた、三井の番頭、八郎右衛門が私に面会を求め、四時前に池良と共に来た。小月……記、山中屋。」

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八郎右衛門と言う名は、三井家の当主が代々名乗っていたもので、私に会いに来た八郎右衛門は八代目高福であった。彼こそが、幕末に時勢を見極め、一早く新政府に貢献することで財閥の基礎を築いた功労者だ。明治九年に政界に戻った聞多の先収会社の事業を引き継ぎ、三井物産を興したのも彼だ



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明治四年五月十三日 (1871/6/30)

「晴れ。十一時頃に一時の豪雨と雷鳴。安玄佐とその倅が来た。井上世外が話しに来た。先日話した藩の会計局の一件や、その他の件の評議は先延ばしにされたようだ。十年後に待ち受けている大いなる災いが見えている者達はほんの一握りしかいなく、多くの役人達は目の前の問題に対応するのみだ。私はこの...