「強烈な東風と豪雨。来客絶えず。豊浦、三好、品川のお招きにあずかり四時過ぎに大阪楼に出向き、昨日話せなかった内容について議論した。十一時頃に宿に戻る。峯が一緒に泊まりに来た。池良の所に滞在していた、三井の番頭、八郎右衛門が私に面会を求め、四時前に池良と共に来た。小月……記、山中屋。」
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八郎右衛門と言う名は、三井家の当主が代々名乗っていたもので、私に会いに来た八郎右衛門は八代目高福であった。彼こそが、幕末に時勢を見極め、一早く新政府に貢献することで財閥の基礎を築いた功労者だ。明治九年に政界に戻った聞多の先収会社の事業を引き継ぎ、三井物産を興したのも彼だ
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