「晴れ。朝、池良、長、来島が来訪。東京に手紙を出した。三好軍太郎の報せでは、長府人、品川と三好が私に会いに下関まで来る予定だとのことであった。そこで私は夜に大阪楼に行く予約を入れた。三時過ぎに無鄰菴(東行菴)に行ったが、小藤一人を除いて他は皆帰った後であった。この小藤とは、故主人である福田悠々の妾であった人物で、私達は少しの間昔話に興じた。私は一杯の茶を頂き、その後大阪楼に向かった。三好と品川とは、藩政や時勢について語った。黄昏時に宴会を始め、十二時前に宿に戻った。雨。」
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下関の清水山の麓にある、この無鄰菴は元は山縣が建てた草庵だ。東行がこの地に葬られていたこともあり、山縣は明治の初めに東行の愛人であったおうのさん贈ったため、それ以来は東行庵の名で知られている。ここは花木の管理が行き届いており、この時期は躑躅や石楠花が美しかった
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