2021/06/11

明治四年四月二十四日 (1871/6/11)

 「正明の和田久七が来た。久七は宗トウの山本の親戚で、山本は病のせいで当主自身が来ることは叶わず、代わりに和田を寄越したとの話であった。河原、今田惣左衛門、西市の中野源蔵が来た。六時前に、井上と私は大寧寺に向かい、義隆公の墓前で手を合わせた。八時前に宿に戻る。今日、江木から一瓶のウニの贈り物が届いた。夜、杉権大参事からの手紙が届き、そこには藩からの建言書と、捕縛された浮浪、暴激の輩達の自白書が同封されていた。二十日の夜、岩倉卿の手紙を携え、芳野親義内舎人権助が山口に到着した。私は不在であったので杉が代わりに応対し、この手紙の内容を承った。佐田屋作兵衛なる、かつて京都の我が家に出入りしていた男が困窮し、金を無心に来た。私は彼が来るとは知らなかったので、部下の一人が幾許かの金子を持たせて返してしまった。」

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前大津と先大津は、今で言うところの長門市で、日本海に面した北浦の一部だ。ここで取れるウニは絶品で、よく一般的に最高級とされている北海道産に勝るとも劣らない品質だ。この時期は特に赤ウニが食べ頃で、その濃厚な味わいは日本酒に非常に良く合う。

ちなみにウニは遥か昔奈良時代から食べられてきたが、アルコール漬けの加工法が発明されたのは明治初期のことで、それも下関が発祥の地だ。今でも市場に出回っている瓶入りウニの凡そ半数は山口県さんの物だという



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明治四年五月十三日 (1871/6/30)

「晴れ。十一時頃に一時の豪雨と雷鳴。安玄佐とその倅が来た。井上世外が話しに来た。先日話した藩の会計局の一件や、その他の件の評議は先延ばしにされたようだ。十年後に待ち受けている大いなる災いが見えている者達はほんの一握りしかいなく、多くの役人達は目の前の問題に対応するのみだ。私はこの...