2021/06/08

明治四年四月二十一日 (1871/6/8)

 「雨。今朝、大吉が帰ったので、彼に八谷藤太宛の手紙を託した。ついでに野村素介宛の手紙と、遠田甚助宛の手紙も一通ずつ預けた。三田尻の山根健蔵が訪ねて来た。夕方、陶器を買いに三ノ瀬まで散歩し、六時前に宿に戻った。中野十一が見舞いに来て、兄源蔵からの手紙を届けてくれた。源蔵が言うには、寛二郎の母親が子を手放すのに反対しており困っていると書かれていた。」

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明治四年五月十三日 (1871/6/30)

「晴れ。十一時頃に一時の豪雨と雷鳴。安玄佐とその倅が来た。井上世外が話しに来た。先日話した藩の会計局の一件や、その他の件の評議は先延ばしにされたようだ。十年後に待ち受けている大いなる災いが見えている者達はほんの一握りしかいなく、多くの役人達は目の前の問題に対応するのみだ。私はこの...