2020/12/21

明治三年閏十月二十九日 (1870/12/21)

「晴れ。五時に参朝。今日は天皇陛下が行幸なされる日で、六時過ぎに坂下門の外で御輿をお見送りした。三時に退出。帰り道に神田邸宍戸を訪ね、その後少しして帰宅。長三州の新居も訪問した。その後吉富を訪ね、福原と吉富と共に六時頃に自宅に戻り、食事した。」

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長君は豊後生まれにも関わらず、奇兵隊の立ち上げに駆け付けたり、馬関戦争で戦ったり、戊辰戦争に従軍したりと、非常に活動的な男だ。それでいて漢学、漢詩、書の造詣が深く、話していて非常に楽しい。私も字には自信ある方だが、奏議の際にはよく彼に代筆して貰ったものだ

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明治四年五月十三日 (1871/6/30)

「晴れ。十一時頃に一時の豪雨と雷鳴。安玄佐とその倅が来た。井上世外が話しに来た。先日話した藩の会計局の一件や、その他の件の評議は先延ばしにされたようだ。十年後に待ち受けている大いなる災いが見えている者達はほんの一握りしかいなく、多くの役人達は目の前の問題に対応するのみだ。私はこの...