2020/12/22

明治三年十一月一日 (1870/12/22)

 「暁雨、十二時頃に晴れる。今朝、黒田了介(清隆)がロシア人達との会合について議論にやって来て、先日彼と検討した私の洋行についても話を交わした。永安和惣、太畑、鹿島達がやって来た。斎藤篤信斎もお越しになられた。近々海外に行く予定の典薬寮の医師、伊東も出立の挨拶に来た。四時過ぎに江藤を訪問し、今夜は宿直の任のため、彼の家から直接皇居へと向かった。今夜は正三卿(正親町三条実愛)が相役で、夜分には天皇陛下から御酒と食事を賜った。」

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斎藤弥九郎先生には足を向けて寝られぬ。剣の達人でありながら、早くから海外への興味をお持ちで、江川英龍先生とも良く交流なされており、私はその縁でペリー来訪後の海岸線の測量に携わることが出来たのだ。もし先生が私を紹介して下さらなかったら、今日の私は無いであろう



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明治四年五月十三日 (1871/6/30)

「晴れ。十一時頃に一時の豪雨と雷鳴。安玄佐とその倅が来た。井上世外が話しに来た。先日話した藩の会計局の一件や、その他の件の評議は先延ばしにされたようだ。十年後に待ち受けている大いなる災いが見えている者達はほんの一握りしかいなく、多くの役人達は目の前の問題に対応するのみだ。私はこの...