2020/12/29

明治三年十一月八日 (1870/12/29)

 「晴れ。神田邸の馬車に乗って、伊東寛斎を訪ね、一緒に築地のヨンハンの所へ向かったが、生憎と不在であった。だが帰り道で彼と鉢合わせになり、伊藤芳梅(博文)の家で治療を受けた。その後大隈を訪問してから参朝し、三条公の家で会議が開かれると聞いた。三職は皆もう移動中だというので、私も三条公の家に向かい、六時過ぎに帰宅。夜に雨。」

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私は生涯持病に苦しめられたが、幸い有能な国内外の医師達に恵まれていた。伊東寛斎は伊東玄朴の娘を娶った蘭方医で、まずは幕府医師、次いで宮中侍医となった人物で、私もよく診てもらったり、このヨンハンみたいな海外の医者に会いに行くときに付き添いで来てもらったものだ。

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明治四年五月十三日 (1871/6/30)

「晴れ。十一時頃に一時の豪雨と雷鳴。安玄佐とその倅が来た。井上世外が話しに来た。先日話した藩の会計局の一件や、その他の件の評議は先延ばしにされたようだ。十年後に待ち受けている大いなる災いが見えている者達はほんの一握りしかいなく、多くの役人達は目の前の問題に対応するのみだ。私はこの...