「曇り。昨朝から私を探していた井上世外(馨)、山田顕義、山縣素狂(有朋)が、ようやく堺辰楼で私と落ち合い、一緒に京久楼に向かった。鳥尾と河野も参加。二時過ぎに井上世外と富田楼に行くと、土佐の岩崎某(弥太郎)、高野兵部少丞と、馬渡某はもう来ていた。」
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岩崎弥太郎はこの当時、設立して一年ほどしか経っていない九十九商会の経営に関わっていた。土佐藩の連中が作った商会で、主に藩から払い下げられた三隻の船による海運業を営んでいたわけだ。これが後の三菱商会だ。それもあり、晩年は聞多と頗る仲が悪かったと聞いている
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