2021/01/22

明治三年十二月二日 (1871/1/22)

「曇り。昨朝から私を探していた井上世外(馨)、山田顕義、山縣素狂(有朋)が、ようやく堺辰楼で私と落ち合い、一緒に京久楼に向かった。鳥尾と河野も参加。二時過ぎに井上世外と富田楼に行くと、土佐の岩崎某(弥太郎)、高野兵部少丞と、馬渡某はもう来ていた。」

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岩崎弥太郎はこの当時、設立して一年ほどしか経っていない九十九商会の経営に関わっていた。土佐藩の連中が作った商会で、主に藩から払い下げられた三隻の船による海運業を営んでいたわけだ。これが後の三菱商会だ。それもあり、晩年は聞多と頗る仲が悪かったと聞いている



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明治四年五月十三日 (1871/6/30)

「晴れ。十一時頃に一時の豪雨と雷鳴。安玄佐とその倅が来た。井上世外が話しに来た。先日話した藩の会計局の一件や、その他の件の評議は先延ばしにされたようだ。十年後に待ち受けている大いなる災いが見えている者達はほんの一握りしかいなく、多くの役人達は目の前の問題に対応するのみだ。私はこの...