「晴れ。槇村と藤村の両参事が、在京政府の事情と時勢について話しに来て、私は彼らに正直な意見を伝えた。彼等は十二時前に去った。大久保も私を訪ねて来た。三時過ぎに、莱山、平原と私は八新楼の天狗会に向かい、鳩居老も一緒に来た。帰り道に清雅と莱山に寄り、十時頃木屋町に戻り、井上夫人に会う。十二時頃に就寝。記、兵部省の用件で、藤村が来た。」
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槇村は幼馴染で、私は彼に実質的な京都の運用を任せていた。彼は有能で、陛下の遷都以来萎んでいた古都を盛り上げることに成功していた。教育の重要性も理解しており、日本初の小学校を設立したのも彼の成果だ。私は後に新島襄のことも彼に推薦したが、教育熱心な二人は中々馬が合ったようだ
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