2021/01/26

明治三年十二月六日 (1871/1/26)

「晴れ。槇村と藤村の両参事が、在京政府の事情と時勢について話しに来て、私は彼らに正直な意見を伝えた。彼等は十二時前に去った。大久保も私を訪ねて来た。三時過ぎに、莱山、平原と私は八新楼の天狗会に向かい、鳩居老も一緒に来た。帰り道に清雅と莱山に寄り、十時頃木屋町に戻り、井上夫人に会う。十二時頃に就寝。記、兵部省の用件で、藤村が来た。」

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槇村は幼馴染で、私は彼に実質的な京都の運用を任せていた。彼は有能で、陛下の遷都以来萎んでいた古都を盛り上げることに成功していた。教育の重要性も理解しており、日本初の小学校を設立したのも彼の成果だ。私は後に新島襄のことも彼に推薦したが、教育熱心な二人は中々馬が合ったようだ



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明治四年五月十三日 (1871/6/30)

「晴れ。十一時頃に一時の豪雨と雷鳴。安玄佐とその倅が来た。井上世外が話しに来た。先日話した藩の会計局の一件や、その他の件の評議は先延ばしにされたようだ。十年後に待ち受けている大いなる災いが見えている者達はほんの一握りしかいなく、多くの役人達は目の前の問題に対応するのみだ。私はこの...