2021/01/06

明治三年十一月十六日 (1871/1/6)

「晴れ。佐久間正之助と檜了助が来た。四時、佐久間と私は典医の伊東を訪ねに馬車で築地に向かったが、不在で、五時頃に帰宅。山縣素狂(有朋)が来た。伊東は私の不在中に来たのだと聞いた。記、品川弥二郎がニューヨークからヨーロッパの近況について手紙をくれた。」

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弥二郎は当時、普仏戦争見分のためにヨーロッパに派遣されていた。彼は勤王芸妓で名高い君尾の心を見事射止めた幸せ者で、戊辰戦争の折には、彼女と一緒に官軍歌を作曲作詞したりと仲睦まじくやっていたらしい(君尾と聞多が昔恋仲であったことは、彼の前では話してはならない)



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明治四年五月十三日 (1871/6/30)

「晴れ。十一時頃に一時の豪雨と雷鳴。安玄佐とその倅が来た。井上世外が話しに来た。先日話した藩の会計局の一件や、その他の件の評議は先延ばしにされたようだ。十年後に待ち受けている大いなる災いが見えている者達はほんの一握りしかいなく、多くの役人達は目の前の問題に対応するのみだ。私はこの...