「朝、内藤玄泰の老母がお越しになられた。私は九時過ぎに舟木を発ち、十一時に山中を越え、一時過ぎに小郡に到着、小泉屋で休憩。北川清介が来た。秋元新蔵も訪ねて来た。鴻城(山口城)には三時過ぎに到着。役人達はもう退出後であったので、私は柏邨大参事を訪ね、六時に帰宅。中山澄江と……利兵衛が小郡近辺まで迎えに来た。」
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秋元はいわゆる勤王庄屋で、幕末には値千金の働きをしてくれた。慶応元年に東行が挙兵した折、長州藩内での内戦に勝てた一因が、秋元を含めた庄屋同盟だ。秋元は農家の次男三男をかき集め、自費で劇剣場を建て剣を習わせ、農兵隊を作った。国を憂いていたのは侍だけではなかった
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