2021/02/17

明治三年十二月二十八日 (1871/2/17)

「晴れ。午前中に岡部仁之助と三好軍太郎宛の手紙を書き上げ、留守を守っている山尾宛の手紙と合わせて、吉田右一郎に託した。十二時頃に、杉と坪井と共に鶴浜の貞永に会いに行き、そのまま彼の所に泊まった。記、家主の文右衛門は上京していて不在。河野……が訪ねて来た。彼は先日雲揚丸に乗り豊後まで出かけていたのだが、今回日田巡察使の指図でこちらの港まで戻ってきたのであった。彼が見分してきたことについて聞くにつれ、これは私の願っていたところと正反対であったのは残念なことだ。早急に、日田県に抗議の手紙を出したい。」

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坪井は長州人には珍しく海軍の道を選んだ人間で、更に海軍の人間にしては珍しく米国留学経験者だ。戊辰戦争経験者でもあるが、一番活躍したのは日清戦争の黄海海戦で、第1遊撃隊司令官として華々しい戦果を挙げた。ちなみにこの時彼の指揮下、浪速の艦長だったのが東郷平八郎だ



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明治四年五月十三日 (1871/6/30)

「晴れ。十一時頃に一時の豪雨と雷鳴。安玄佐とその倅が来た。井上世外が話しに来た。先日話した藩の会計局の一件や、その他の件の評議は先延ばしにされたようだ。十年後に待ち受けている大いなる災いが見えている者達はほんの一握りしかいなく、多くの役人達は目の前の問題に対応するのみだ。私はこの...