「晴れ。岩倉卿一行の御入場に合わせ、山口城へ戻った。岩倉卿を客館御門でお出迎えすると、我が二人の毛利公もお出迎えに来られた。知事公は柊木に行く御用時があったので、岩倉卿とは客館でお会いになられてから、早々にお発ちになられた。私は大久保を始めとした他の客をもてなし、今現在進行中の計画について議論した。夜、山縣彌八、奥平数馬、坪井宗右衛門、勝坂之本兵衛が飲みに来た。」
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城といっても、山口城・藩庁はどちらかと言うと西洋式城郭に近かった。元は文久三年(1863年)に攘夷を決意なされた御老公が湯田への湯治と偽り萩から山口へと居を移された際に建築されたのだが、禁門の変で藩内政治がひっくり返ると一旦打ち壊され、その後慶応二年(1866年)に再建築されたのであった
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