2021/03/11

明治四年一月二十一日 (1871/3/11)

「晴れ。九時頃に高知を発つ。川を湾に向かう舟で下っていると、私に会いに来る途中であった板垣と鉢合わせになった。私は舟の上から、彼は橋の上で下馬し、次は浪華で会うことを約束し別れた。浦戸までの川からの景色は素晴らしいもので、天気にも恵まれていた。十一時前に雲揚艦に乗ると、大久保と西郷もすぐに来た。藩廟から数百の鶏卵の土産を頂戴した。……を五時頃に通過。今日は波風も穏やかであったのだが、ここに来て船は激しく揺れ、北東から吹き始めた風も強くなる一方であった。八時頃に風も落ち着き、五時頃に由良に到着。」

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雲揚艦は元々長州藩が維新の前にイギリスに発注した軍艦で、この数か月後に明治政府海軍に献納され、その後は海外からの賓客を迎えるのに使われたり、佐賀の乱や江華島事件で活躍したが、明治九年、残念ながら萩の乱の最中に暴風雨に遭遇し破壊されてしまった



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明治四年五月十三日 (1871/6/30)

「晴れ。十一時頃に一時の豪雨と雷鳴。安玄佐とその倅が来た。井上世外が話しに来た。先日話した藩の会計局の一件や、その他の件の評議は先延ばしにされたようだ。十年後に待ち受けている大いなる災いが見えている者達はほんの一握りしかいなく、多くの役人達は目の前の問題に対応するのみだ。私はこの...